投稿日:2013年12月17日

もう一つの生誕地

源頼朝の生誕地は、熱田神宮のそばにある誓願寺といわれています。 名古屋市内には、誓願寺の他に、もう一つ、生誕地という説のある場所があります。
名古屋市瑞穂区妙音通の近くにある龍泉寺というお寺です。

龍泉寺

「瑞穂区の歴史」によると、古代、ここには行基の開基による薬師寺があり、それは笠寺の笠覆寺に匹敵する規模のものであり、「尾張名所図会」には日本三大薬師のひとつであったとされていた、とのこと。
すぐ近くには、源頼朝の誕生の三十年後、平清盛のクーデター(治承三年の政変)で、この地に流されてきた太政大臣・藤原師長が住んだ跡や藤原師高の塚の跡があります。
今は当時の面影は無く、住宅地の何気ないお寺となっています。

龍泉寺

亀井水

龍泉寺の前には、亀井水(かめいすい)という古い井戸があります。 龍泉寺の山号は亀井山ですが、この井戸の名前から来ているとのこと。
亀井水の案内板には、次のように書かれています。

「府城の南一里三十町(約7キロ余)本井戸田なる村あり。井水すべて清らかなり。名ある清水七ヶ所ばかりあれど、亀井という清水こそ、名高くうるはし」(尾張志)。龍泉寺山門の脇にある亀井水はまた、源頼朝の産湯の水を汲んだ井戸とも伝えられている。第二次大戦後しばらくの間名の通り、「亀」が水面をおおうほどに無数に生息していたものである。

亀井水
亀井水1

亀井六郎重清

「瑞穂区の歴史」によると、龍泉寺の西側には、津賀田神社の祠官の亀井六郎重清の「亀井屋敷」があったとのことです。亀井一族は、このあたりの豪族だったようです。津賀田神社は龍泉寺のすぐ近くにあります。
言い伝えでは、亀井六郎重清の母が頼朝の乳母を務めたとされ、また重清の孫が、代々津賀田神社の宮司をつとめた、とあります。

亀井六郎重清は、源義経の四天王と呼ばれ活躍した武将の名前でもありますが、実際のところは不明です。

参考サイト:亀井山龍泉寺、姫塚古墳 新、愛知限定歴史レポ

津賀田神社

龍泉寺から、鎌倉街道沿いに数百メートルほど坂をのぼっていった場所には、津賀田神社があります。神社の敷地内には古墳があります。井戸田地区には、他にも古墳の跡が多くありますが、現在は住宅地になっているので面影はありません。

津賀田神社
津賀田神社

ネットで色々調べてみたら、津賀田神社も、源頼朝の生誕地とされる場所であると、18世紀の張州府志、19世紀の尾張志や尾張名所図絵に書かれているようです。

参考サイト:井戸田の大山車(津賀田神社祭礼)
参考サイト:津賀田神社 新、愛知限定歴史レポ

訪問した感想

井戸田の地は、狭い路地のめぐらされた住宅地ですが、平安時代の伝説が色濃く残る土地です。古代の流刑地でもあり、龍泉寺のすぐ近くには、太政大臣・藤原師長が平清盛のクーデターにより流されて住んだ場所があります。師長は、津賀田神社に祈願して、無事京都に戻れた、という言い伝えもあります。
師長については、興味深い悲恋の伝説が残っているので、別の機会に書くことにします。

実際のところ、本当に源頼朝の生誕地なのかどうかは、管理人には分かりません。神道では、お産が穢れとされていたことで、熱田の屋敷ではなく井戸田の亀井家で取り上げたのではないか、という説も考えられるかもしれません。
もっとも、井戸田から熱田神宮までは徒歩で数十分の距離ですので、「誓願寺」か「龍泉寺」か、どちらでも良いような気がします。

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藤原師高の塚
藤原師長の伝説が残る井戸田の土地

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posted by nagoyasanpo at 17:04 | Comment(0) | 源頼朝
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