あゆちの水
名古屋市瑞穂区師長町には、尾張名水のひとつ「年魚道(あゆち)の水」と呼ばれる泉があったようです。現在は、小さな古井戸と石碑しかないので、その場所は、地元の人でないと分かりにくいようです。
万葉集 巻13−3260
小治田の 年魚道の水を 間なくぞ 人は汲むといふ 時じくぞ 人は飲むといふ 汲む人の 間なきがごと 飲む人の 時じきがごと 我妹子に 我が恋ふらくは やむ時もなし
記念碑


井戸

井戸には「あ」の文字が彫られている。
愛知の語源
「あゆち」は、「あゆち潟」に由来する言葉で愛知の語源となっています。しかしながら現在では、「あゆち潟」の面影は、現在は全くありません。名古屋市内ですと、平安時代以前は、熱田神宮から瑞穂区の新瑞橋、天白区の植田、島田、野並を結ぶルートが、あゆち潟の沿岸となっていました。古代の東海道や鎌倉街道は、このルートを通ったようです。
瑞穂区師長町の近くまで、「あゆち潟」が広がっていたことになります。
尾張説と大和説
上記の万葉集に出てくる小治田(おはりだ)の場所については、尾張か大和かで、古くから論争があるようです。大和には、飛鳥時代の推古朝の頃、小墾田宮と呼ばれる宮殿がありました。 大和説では、ここが小治田の場所ではないか、ということです。尾張説が有力
古代、瑞穂区の師長町や井戸田町の一帯は、「あゆち潟」もあれば古い泉もあり、さらに古街道沿いでもありました。尾張説にすれば、歌の解釈に、なんら異をはさむものはありません。歌詞表現も、「人は汲むといふ」という伝聞形式になっており、尾張説を支持するものになっています。あゆちの語源
「あゆち潟」の「あゆち」の語源については、諸説あります。「あゆ」は南東方向の海から吹き寄せる風だ、という説が有力のようです。これについては、別の機会にピックアップしてみようと思います。藤原師長の伝説
あゆち水の記念碑や石製の井桁がある付近は、かつて琵琶が峰と呼ばれていたそうです。琵琶の名手、藤原師長がこの地で京都をしのびながら琵琶を弾いていたという伝説があります。参考URL:藤原師長の伝説が残る井戸田の土地
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更新情報
- 2014/7/14