投稿日:2014年01月03日

井戸田に残るもう一つの伝説

1177年に、名古屋市瑞穂区の井戸田の地に、藤原師高、師経、師平という3人の公家の兄弟が流されてきました。師高らが、比叡山延暦寺の末寺と紛争を起こしたためでした。

鹿ケ谷の陰謀

ちょうどその頃、平家打倒をもくろんだ「鹿ケ谷の陰謀」が平清盛に知られるところとなり、首謀者の一人、師高の父で後白河法皇の近臣だった西光は斬られました。

治承三年(1179年)の平清盛のクーデターによって、太政大臣の藤原師長がこの地に流されてくる2年前のことです。

参考URL:鹿ケ谷事件

師高塚

江戸時代に編纂された「尾陽雑記」という書物によれば、西光の息子である師高、師経、師平の3人に対しても、平清盛による討伐部隊が派遣されました。3人は、尾張の国の蚊野というところで、小熊郡司惟長らによって斬られました。

尾張の人が、河原に晒されていた3兄弟のなきがらを井戸田に運び、塚を3つ作って葬ったとのことです。

尾張名所図会には、その塚が掲載されています。穂波小学校やブラザー工業のあるあたりではないか、と推測されていますが、現在は場所が不明とのことです(参考URL)。

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posted by nagoyasanpo at 16:50 | Comment(0) | 名古屋
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