投稿日:2014年01月21日

熱田神宮の言い伝えや伝承を時代ごとに紹介しています。
このページでは奈良時代(710-794)のものをピックアップ。

楊貴妃のかんざし

熱田神宮には、傾城の美女として知られる楊貴妃(719-756年)の伝説があります。 唐の玄宗が日本を攻めようとしたとき、日本の神々が相談の結果、熱田大神が楊貴妃として生まれ、玄宗を思いとどまらせた、というのが伝説のあらましです。

安禄山の乱によって楊貴妃がなくなると、熱田大神に戻って熱田の地に戻ってきたということです。 その後、海上の仙人の山(蓬莱)に楊貴妃がいると聞いた玄宗は、方士を派遣します。 方士は熱田が蓬莱と考えて春敲門を叩き、楊貴妃に玄宗の思いを告げます。楊貴妃は、螺鈿の小箱と金のかんざしを形見として方士に渡しました。

蓬莱宮

なぜこのような伝承があるのかというと、熱田は、その昔、景観から、徐福の上陸した「蓬莱」とも呼ばれていたためです。そこへ、白居易の長恨歌の内容が結びついた伝承と考えられます。

楊貴妃の石塔

熱田神宮境内の清水社に、湧き水があり、その中に石が置かれています。それが、かつて境内に存在したという「楊貴妃の石塔(五輪の塔)」の一部とも言われます(参考URL)。 楊貴妃の墓とも呼ばれていたようです。

清水社

また、清水社には平安時代から鎌倉時代にかけて活躍した平景清の伝承もあります。


posted by nagoyasanpo at 12:01 | Comment(2) | 熱田神宮
この記事へのコメント
楊貴妃について
日本歴史に新たに発見伝書「簡略報告書」
紀元前約五百年 中国春秋時代に
太陽いずる日の本へ男女500名が極寒冬
北西の荒海を乗り越えて博多住吉に不時着
その後、約千二百年 蓬莱の熱田より女神
国姫として中国へ帰郷
浪曲「博多どんたく歴史」が三味線と共に
語る。作詞作曲「伊勢あまおどり」
簡略報告書を令和5年1月8日に
熱田神宮資料館へ奉納したいと思います。
               以上

Posted by 大熊光希 at 2023年01月08日 10:13
こんにちは。

楊貴妃についてのご教示、とても興味深く思いました。

日本から中国へ渡った人々もいたかもしれません。

コメントありがとうございます。
Posted by 管理人 at 2023年01月18日 15:39
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