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桶狭間の戦いと信長塀
熱田神宮には、信長塀という遺構が有名です。永禄3年(1560)5月の桶狭間の戦いでは、25000人以上の今川義元の軍勢に、織田信長は3000-5000人ほどの兵力で向かい、勝利を収め、戦国時代の重要な転機となったことで知られます。
熱田の勢力の加勢を得る
最初から、ほとんど勝ち目のない戦いだったようで、信長自身も、出陣前に、「人間五十年下天のうちをくらぶれば、云々」で有名な「敦盛」を舞ったとのこと。当日は、わずかな軍勢を率いて、朝方、熱田神宮に到着します。そこで、願文を奏して、戦勝祈願をしています。このとき、熱田を支配していた大宮司の千秋氏や加藤氏の手勢を得ています。
言い伝え
このとき、本殿の奥から、甲冑の音が聞こえ、二羽の白鷺が、戦旗の先に飛ぶのを見て、勝利を感じたという言い伝えがあります。昼ごろから、天候が急変し、桶狭間の一帯は土砂降りとなり、今川の大軍に対する奇襲が決行されます(参考URL)。
日本三大土塀
この勝利により戦後、織田信長は、全長400メートルもの築地塀「信長塀」を寄進しました。「信長塀」は、日本三大土塀と呼ばれています。長篠の戦い
大掛かりな鉄砲隊を使ったことで知られる長篠の戦い(1575年)の際にも、熱田神宮で祈願を行い、その凱旋の際にも境内の修造を行ったということです。こうしてみますと、熱田神宮は、源頼朝、織田信長と日本の時代をつくってきた武将とも深い縁がある神社といえます。