投稿日:2014年02月14日

精進川に架けられた旧東海道の橋

新堀川のあるあたりに、かつて精進川が流れていました。精進川は明治に入ってから、運河として改修され新堀川となり、大正時代には、その跡はすでに埋め立てられていたとのこと。

裁断橋は、精進川に架けられた旧東海道の橋で、尾張名所図会にものっています。古くは、1509年の『熱田講式』にも、その名が見られるといいます。たもとにある姥堂は、延文3年(1358年)の創建というので、その頃からあると思われます。

裁断橋

擬宝珠の銘文

擬宝珠に彫られていた銘文によって、裁断橋は良く知られています。 豊臣秀吉による天正18年(1590年)の小田原征伐で亡くなった18歳の堀尾金助の33回忌(1622年)に、その母親が息子を最後に見送った東海道の裁断橋の架け替えを行ない、擬宝珠にその橋の由来を刻んだと伝えられています。

日本女性三名文

この銘文は、昭和に入ってから、学者や評論家の本で紹介されるようになり、現在では、成尋阿闍梨母じゃがたら文と並んで、日本女性三名文としてあげられています。
擬宝珠のの銘文は、江戸時代から、橋を渡る多くの人たちにも知られていたと思うと、たいへん感慨深いものがあります。

擬宝珠の実物

裁断橋の擬宝珠の実物は、名古屋市博物館の「尾張の常設展」で展示されています。

都々逸発祥の碑

裁断橋の右隣に、「都々逸発祥の碑」の石碑もあります。 都々逸とは、江戸末期に、都々逸坊扇歌(1804年-1852年)によって大成された口語による七・七・七・五の歌です。

場所

名古屋市熱田区伝馬2-5-19
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posted by nagoyasanpo at 12:17 | Comment(0) | 日記
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