投稿日:2014年07月14日

名古屋の地名の由来について調べてみました。 結論から言うと、「愛知」同様、その名の由来については諸説あってはっきりしませんでしたが、「浪越」ではないか、と個人的には考えています。

最も古い出現は「那古野荘」

レファレンス協同データベース「名古屋の地名「那古野」の由来について知りたい」によると、名古屋の地名が出現するのは、平安時代の荘園として「尾張国那古野荘」と見えるものが最も古いとのこと。
那古野については「なごや」と読むようです。

なごやの由来は?

では、那古野(なごや)の地名の由来は何か、ということになると、諸説出てきます。その中からいくつかピックアップしてみました。
  • 気候・風土がなごやかな地
  • ナゴ(霧)の多い原野
  • 根古屋(城下の集落の意味)
  • 海からやってきた波が越えた土地
  • 漁師を「なこ」と呼ぶので、漁師の集落の意味

決定打なし

5つほどピックアップしましたが、どれも決定打に欠けるようです。名古屋の地名は、愛知県の名古屋だけではなく、全国的にいくつか見られます。その中には、上記が元になったものもあるでしょう。

しかし、尾張の名古屋については、不明です。
というわけで、上記の説の中から有力なものを、いくつか検討してみたいと思います。

根古屋説

緑区鳴海町に、「根古屋」という地名があります。「名古屋 地名の由来を歩く」という本によると、この「根古屋」かもしれない、とあります。
緑区鳴海町の「根古屋」は、鳴海城に由来する地名です。鳴海城の築城は室町時代初期のものとのことですので、平安時代の荘園よりも新しい名前と言うことになり、名古屋の語源ではないように思われます。

浪越説

尾張古図

猿投神社に伝わるという「尾張古図」には、「浪越」という地名が出てきます。「尾張古図」自体は、養老年間の制作とされますが、江戸時代の制作ではないか、ともいわれます。 この「尾張古図」の「浪越」が名古屋の語源ではないか、という説があります。
名古屋市図書館の「名古屋なんでも調査団」によれば、この地図の制作時代が養老年間という根拠はないが、あながちでたらめでもない、といいます。
この波については、上記の「名古屋なんでも調査団」によれば、寛治六年(1092年)の大水の際の高波ではないか、といいます。

那古野山古墳

名古屋市中区大須2丁目19番にある「那古野山古墳(五世紀頃の造営)」は、wikipediaによると「浪越山」と呼ばれていたそうです。
寛治六年(1092年)の大水の際に、中区大須の那古野山古墳の「浪越山」まで、波がやってきたのかもしれない、と個人的には思ったりもしますが、「名古屋なんでも調査団」によれば、「浪越山」は、もっと大きな山ではないか、とのこと。
那古野山古墳
Googleストリートビューより。

名古野山(名古屋山)

名古屋城下の碁盤割の辺りに、かつては名古野山(名古屋山)と呼ばれた深山があったとのこと。「大昔に名古屋山を越える高波があり、そのときの水がたまって広大な布ヶ池ができた」「加藤清正が名古屋開府にあたって名古野山の山谷を均して平地にした」とのことです。

というわけで、個人的には、この「名古野山(名古屋山)」のもとになった「浪越」が名古屋の語源ではないか、という気がします。

津波

いつの波かというと、寛治六年の大水以外にも、2000年前にあったといわれる大津波の可能性もあるかもしれません(参考:歴史的な津波の一覧)。
タグ:伝承 中区
posted by nagoyasanpo at 16:47 | Comment(0) | 地名
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