投稿日:2014年08月17日

鎌倉街道とは、鎌倉幕府のあった鎌倉へ続く道路網のことです。御家人が「いざ鎌倉」と駆けつけた道でもあります。鎌倉を中心にめぐらされていましたが、名古屋市内にも道の痕跡が残っています。ただ鎌倉街道という呼称は江戸時代以降のもので、「吾妻鏡」などには正式な名称は載っていないようです(>wikipedia)。

単に「海道」と呼ばれていた

中世の東海道をゆく―京から鎌倉へ、旅路の風景という著作によれば、そのルートは、東海道と呼ばれることもあったが、基本的には単に「海道」と呼ばれていたとのことです(この「中世の東海道をゆく」という著作は、かなりオススメです)。

名古屋の鎌倉街道

名古屋を通る鎌倉街道(京・鎌倉往還道)は、125里63宿の行程で、江戸時代の「東海道」が整備される前に、京都と鎌倉を結ぶ主要道路として利用されたものです。「中世の東海道」ともいえます。
この鎌倉街道(京・鎌倉往還道)が利用された時代は、平安時代から織田信長らが活躍した戦国時代頃までのようです。それ以降はルートが変わって使われなくなり、現在では、名古屋市内にはわずかな痕跡しか残っておらず、場所は推定するしかないようです。江戸時代にはすでにその道筋が不明になっていたようです。

東海道の歴史

古代には、「五畿七道」と呼ばれる律令制度に基づいた地方区分があり、その中に東海道と呼ばれるエリアがありました。また、大和から伊賀、伊勢、尾張、三河、遠江といった国の国府を結ぶ道路も「駅路」と呼ばれ整備されていました。「駅路」は、かなり整備されていたようです。 (wikipedia)
平安時代にはいってから、後に鎌倉街道と呼ばれる新しい道ができました。 その後、江戸時代に入り、江戸と京都を結ぶ主要幹線として整備されます。明治時代には、東海道は新たに整備されなおし、現在の東海道となっています。時代ごとに、東海道のルートはかなり変化していますが、これは、政情や地理地形の変化、乗り物の発達によるものでしょう。
タグ:鎌倉時代
posted by nagoyasanpo at 19:04 | Comment(0) | 街道
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