投稿日:2016年01月28日

名古屋市内の史跡

名古屋市内には、松尾芭蕉の句碑が20以上もあるとのことですが、主だったゆかりの史跡は3つあります。
  • 蕉風発祥の地(中区テレビ塔)
  • 千鳥塚(緑区鳴海)
  • 芭蕉供養塔(緑区鳴海)

蕉風発祥の地

芭蕉の住居跡

栄のテレビ塔の北東角に、石碑と解説のパネルがあります。この場所に、芭蕉の住居があったとのことです。芭蕉が名古屋に来た際に、門人との交流のために家を借りたと「金鱗九十九之塵」に記されています。

句集「冬の日」

ここが蕉風発祥の地と呼ばれるのは、野ざらし紀行の旅の途中の芭蕉が俳人とともに句会を開いて、芭蕉開眼の書とも呼ばれる句集「冬の日」ができたからです。句集「冬の日」は、蕉門の代表的な撰集である俳諧七部集(芭蕉七部集)の第一集です。旧来の俳諧を芸術にまで引き揚げた第一号の作品といわれます。

石碑

黒みかげ石の碑には、芭蕉の句以外にも、地元の気鋭の青年俳人たちによる表六句がすべて記されています。郷土先人の伝えるため、と書かれています。

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芭蕉41歳

「冬の日」が興行された時、芭蕉は41歳、参加した名古屋衆は20代〜30代の青年でした。

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千鳥塚

芭蕉存命中の唯一の碑

緑区鳴海に、芭蕉存命中唯一の碑である千鳥塚があります。千鳥塚碑文は芭蕉の自筆です。 芭蕉の句碑の中で最古のものです。句碑の建立の際には、芭蕉自ら小石を積んだとのこと。 碑文には、「武城江東散人芭蕉桃青」とあります。
千鳥と名づけられたのは、「星崎の闇を見よとや啼く千鳥」を立句とした俳諧の一巻ができたことを記念するためです。千鳥塚は、現在は「千句塚公園」となっており、公園の奥には緒畑稲荷がまつられています。

地図


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芭蕉供養塔

最古の芭蕉供養塔

緑区鳴海の誓願寺には、芭蕉が亡くなった翌月に建てられた芭蕉供養塔があります。こちらも最古の芭蕉供養塔です。高さ70センチ弱の小さな塔です。 隣の芭蕉堂は、1858年の建立。誓願寺は室町の天正元年建立とのこと。


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南区のゆかりの土地

南区の笠寺観音にも、松尾芭蕉ゆかりの句碑があります。「星崎の〜」の句が刻まれていることから、「笠寺千鳥塚」とも呼ばれます。1729年建立。

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白毫寺

南区の白毫寺にある石碑。「春風や戸部山崎の屋根の苔 はせを」と刻まれていますが、芭蕉の句集には見当たらないとのことです

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熱田区のゆかりの土地

誓願寺といえば、熱田区にもあります。頼朝の出生地とされます。 芭蕉は名古屋訪問の際、自分から言い出して、熱田区の景清社と、この誓願寺を訪れたとのことです。

誓願寺
熱田区の誓願寺。

景清社
熱田区の景清社。

東区の三日月塚

戦災の痕跡が残る

「妙見山了義院」、大曽根の妙見山というお寺の境内に、三日月塚という句碑があります。門下生が芭蕉の50回忌に造立したものですが、1945年の大空襲の際に被災し、三日月塚も破壊されました。戦後になってから、句碑の破片をセメントで継ぎ合わせて、現在の状態になったとのことです。

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更新情報

  • 2016-1-28
  • 2014-12-12
posted by nagoyasanpo at 03:00 | Comment(0) | 文化
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