名古屋市内の史跡
名古屋市内には、松尾芭蕉の句碑が20以上もあるとのことです。主だったゆかりの史跡は3つあります。
- 蕉風発祥の地(中区テレビ塔)
- 千鳥塚(緑区鳴海の千句塚公園)
- 芭蕉供養塔(緑区鳴海)

蕉風発祥の地
芭蕉の住居跡
栄のテレビ塔の北東角に、石碑と解説のパネルがあります。この場所に、芭蕉の住居があったとのことです。芭蕉が名古屋に来た際に、門人との交流のために家を借りたと「金鱗九十九之塵」に記されています。句集「冬の日」
ここが蕉風発祥の地と呼ばれるのは、野ざらし紀行の旅の途中の芭蕉が俳人とともに句会を開いて、芭蕉開眼の書とも呼ばれる句集「冬の日」ができたからです。句集「冬の日」は、蕉門の代表的な撰集である俳諧七部集(芭蕉七部集)の第一集です。旧来の俳諧を芸術にまで引き揚げた第一号の作品といわれます。石碑
黒みかげ石の碑には、芭蕉の句以外にも、地元の気鋭の青年俳人たちによる表六句がすべて記されています。郷土先人の伝えるため、と書かれています。

芭蕉41歳
「冬の日」が興行された時、芭蕉は41歳、参加した名古屋衆は20代〜30代の青年でした。関連リンク
千鳥塚
芭蕉存命中の唯一の碑
緑区鳴海に、芭蕉存命中唯一の碑である千鳥塚があります。千鳥塚碑文は芭蕉の自筆です。 芭蕉の句碑の中で最古のものです。句碑の建立の際には、芭蕉自ら小石を積んだとのこと。 碑文には、「武城江東散人芭蕉桃青」とあります。千鳥と名づけられたのは、「星崎の闇を見よとや啼く千鳥」を立句とした俳諧の一巻ができたことを記念するためです。千鳥塚は、現在は「千句塚公園」となっており、公園の奥には緒畑稲荷がまつられています。
詳しくはこちら>芭蕉千鳥塚(千句塚公園)と周辺の史跡
地図
大きな地図で見る
芭蕉供養塔
最古の芭蕉供養塔
緑区鳴海の誓願寺には、芭蕉が亡くなった翌月に建てられた芭蕉供養塔があります。こちらも最古の芭蕉供養塔です。高さ70センチ弱の小さな塔です。 隣の芭蕉堂は、1858年の建立。誓願寺は室町の天正元年建立とのこと。大きな地図で見る
南区のゆかりの土地
南区の笠寺観音にも、松尾芭蕉ゆかりの句碑があります。「星崎の〜」の句が刻まれていることから、「笠寺千鳥塚」とも呼ばれます。1729年建立。
白毫寺
南区の白毫寺にある石碑。「春風や戸部山崎の屋根の苔 はせを」と刻まれていますが、芭蕉の句集には見当たらないとのことです
熱田区のゆかりの土地
誓願寺といえば、熱田区にもあります。頼朝の出生地とされます。 芭蕉は名古屋訪問の際、自分から言い出して、熱田区の景清社と、この誓願寺を訪れたとのことです。
熱田区の誓願寺。

熱田区の景清社。
東区の三日月塚
戦災の痕跡が残る
「妙見山了義院」、大曽根の妙見山というお寺の境内に、三日月塚という句碑があります。門下生が芭蕉の50回忌に造立したものですが、1945年の大空襲の際に被災し、三日月塚も破壊されました。戦後になってから、句碑の破片をセメントで継ぎ合わせて、現在の状態になったとのことです。関連リンク
更新情報
- 2016-1-28
- 2014-12-12