投稿日:2016年01月24日

733年創建

笠寺観音(笠覆寺)に伝わる観音縁起によれば、733年に創建されました。僧の善光が、呼続の浜辺に漂着した流木で十一面観音像を彫り、その像をまつったのが始まりだそうです。

最初期のお堂は、天林山小松寺と呼ばれ、南区粕畠町にあったとのこと。その後、お堂は朽ちて、観音像は野ざらしになっていました。

史跡、縁結び、行事、青空市と、見所の多いお寺です。

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西門(1814年)。

粕畠貝塚

ちなみに、天林山小松寺があった場所は、現在は「粕畠貝塚」と呼ばれ、縄文時代の遺跡です。「観音塚」とも呼ばれています。

笠覆寺の建立

ある時、藤原基経(日本史上初の関白で知られる)の子の藤原兼平が、雨の日にこの観音像を笠で覆った娘を見初め、玉照姫(たまてるひめ)と名づけて妻とした縁で、930年にこの地に寺を建立し、笠覆寺と名づけました。

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笠の寺紋。

8年に一度だけ開帳

この由来から、笠寺観音の本尊は十一面観世音菩薩で、笠をかぶっています。本尊は秘仏となっており、8年に一度だけ開帳されます。平安時代初期の作風だともいわれます。

縁結び

また、玉照姫の由来にちなんで、縁結びを祈る参拝者も多いとのことです。

玉照堂

玉照姫(たまてるひめ)と兼平の像が置かれています。

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宮本武蔵の碑(1744年)

二刀流で有名な宮本武蔵の100回忌を記念して、1744年に武蔵の孫弟子によって立てられたもの。尾張徳川家の兵法指南役を目指して、尾張にやってきた際、二ヶ月ほど、東光院を宿坊にしていたとか(参考URL)。

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笠寺千鳥塚(1729年)

芭蕉が、貞享4年(1687年)に鳴海を詠んだ「星崎の闇を見よとや啼く千鳥」が刻まれています。1729年の建立。 千鳥塚と呼ばれるものは鳴海の千句塚公園にもあり、そちらは芭蕉自筆とされます。

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六角地蔵(1770年)

1770年建立。 尾張名所図会にも確認できます。

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延命地蔵(1729年)

お堂の中に延命地蔵がまつられています。お堂の前には石柱があるので、すぐ見つけられます。

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本堂(1763年)

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多宝塔(1644年)

阿弥陀如来をまつる二重の塔。 正面の石碑は、徳川家康の「人質交換の地」と書かれています。

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人質交換の石碑

1549年、織田家に捕らえられていた竹千代(家康の幼名で、当時8歳)と、今川家に捕らえられていた織田信広(織田信長の兄)との人質交換が、境内で行われたとのこと。5月5日に地域で行われている鍬形祭り(鍬形かぶとを奪い合う)は、この人質交換に由来するそうです。

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鐘楼堂(1684年)

鐘楼堂(鐘つき堂)に安置されている梵鐘は、鎌倉時代(1251年の銘がある)のものです。尾張三名鐘の一つに数えられ、愛知県の有形文化財に指定されていますが、大晦日には除夜の鐘として現役だそうです。

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仁王門(1820年)

大きな金剛力士が両側で寺の入り口を守っています。 正面の道は、旧東海道。大きな草鞋は、目の前を旧東海道を旅した旅人の安全祈願でしょうか。

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放生池

多くのカメが生息しているので、亀の池とも呼ばれます。仁王門に続く太鼓橋は1806年のもの。

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尾張四観音と節分行事

尾張四観音とは、尾張国の代表的な四つの観音寺のことです。大須観音が有名ですが、大須観音は比較的新しい創建なので、尾張四観音には含まれていないとのこと。
  • 荒子観音(名古屋市中川区荒子町)
  • 甚目寺観音(あま市甚目寺)
  • 龍泉寺観音(名古屋市守山区龍泉寺)
  • 笠寺観音(名古屋市南区笠寺町)
これらの観音寺は、名古屋城を中心に四方に分散する形で立地しています。 名古屋城から見て、恵方に当たる年には、その寺で盛大な節分行事が行なわれることになっています。

リンク

公式サイト
posted by nagoyasanpo at 21:52 | Comment(0) | 笠寺
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