笠寺公園として整備
笠寺観音の二〇〇メートルほど東隣の丘陵に、見晴台遺跡と笠寺陣地跡があります。このあたりは笠寺台地で小高い丘となっており、太古の昔から人々が生活していました。現在は、笠寺公園として整備されています。
見晴台遺跡
見晴台遺跡からは、約2万年前の旧石器時代の角錐状石器や、縄文時代の土器や木の実の貯蔵穴、弥生時代の墓地や住居跡などが出土しています。それ以降も、平安時代から戦時中に至るまでの遺物が出土しています。
住居跡観察舎の建物がある場所に、当時の住居跡があった。
市民発掘
管理人も市民発掘に参加したことがあります。発掘調査では、室町頃の山茶碗を見つけました。案内図
見晴台遺跡と笠寺陣地跡(笠寺公園)の案内図はこちら。住居跡観察舎
弥生時代の竪穴式住居を本物と同じ大きさで復元した住居跡観察舎があります。入場無料で中を見学できます。床の周りに溝を掘り、柱を4本立てていたとのこと。

以前の復元住居は、数年前に、経年劣化で撤去されました。現在あるのは、再建中のものです。観察舎内では、復元住居の再建の途中状況を見ることができます。
見晴台考古資料館
常設展の弥生のムラ・見晴台遺跡展では、石器時代から戦時中に至るまでの見晴台遺跡の出土品を見学できます。入場無料です。
朝日遺跡との関連
管理人が見晴台考古資料館を訪れたときは、濃尾平野の大集落・朝日遺跡展が併設されていました。朝日遺跡は、弥生時代を代表する遺跡です。見晴台遺跡と朝日遺跡は、同じ文化圏の環濠集落ですが、朝日遺跡は都市的な機能を持ったムラ、見晴台遺跡は一般的なムラだとのこと。
朝日遺跡には弥生中期頃には千人以上が居住しており、面積は東西1.4キロメートル、南北0.8キロメートルにも及ぶため、集落ではなく弥生都市というのが妥当ではないか、とのこと。邪馬台国のライバルだった「狗奴国」の前駆都市との説もあります。
弥生の森
ヤマモモ、スダジイ、トチ、サワグルミなど、弥生時代に実際に用いられていた木々が植えられています。
戦争遺跡
戦時中には、笠寺陣地と呼ばれる高射砲陣地があり、その痕跡が残っています。 写真は弾薬庫で、分厚いコンクリートの施設です。


発掘調査をした際にも、戦時中の遺物が見つかっていました。見晴台考古資料館には、B29の尾翼も展示されています。