投稿日:2017年09月04日

日本三大観音

大須観音は、浅草観音、津観音(三重県津市)とともに、日本三大観音に数えられます。

1324年、羽島市大須郷に「北野天満宮」を創建

境内の看板によりますと、1324年に後醍醐天皇が岐阜県羽島市の大須郷に「北野天満宮」を創建し、1333年に北野天満宮の別当寺として能信が創建したのが真福寺です。神仏習合の時代に、北野天満宮(菅原道真を祀る神社)を管理するためのお寺だったようです。実際に、その名残として、大須観音の裏手に北野神社が祀られています。

1612年に現在地に移転

その後、1612年に徳川家康によって、現在地に移転したとのこと。移転前から真福寺には経典が集まっており、それが現在の真福寺文庫(大須文庫)として受け継がれています。

18日、28日には骨董市

大須観音の境内では、18日、28日には骨董市が開かれます。特に28日は大須の縁日ということで、商店街全体が賑わいます。
大須観音

大須の地名

大須の地名は岐阜県羽島市の大須と呼ばれる場所に由来します。木曽・長良川に挟まれた土地です。そこには古くから経典の集積地として知られた真福寺がありました。徳川家康の命令で、1612年に真福寺を、現在の大須に移転させ、そこの地名を取ったのが由来となっています。

移転した理由

移転した理由は、木曽・長良川の水害から、真福寺の経典を守ることも目的だったということです。これが現在の「大須文庫」として引き継がれているとのこと。大須文庫の中には国内最古の古事記の写本もあり国宝に指定されています。これらの大須文庫は大須観音の地下に収められています。1615年に徳川家康と展開は文庫の蔵書の点検を行っています。

北野神社

大須観音の北側に、小さな「北野神社」があります。実はこの神社が大須の前身となったものです。

北野神社
目立たない場所にある。菅原道真の梅の神紋がある。

大須観音は北野天満宮の別当寺

そもそも、大須観音は北野天満宮の別当寺として建立されたものです。別当寺というのは、神社と寺を一体化して信仰する「神仏習合」のためのお寺のことです。

撫牛
撫牛の像がある。 道真と牛は深いかかわりがある。牛の像は、撫でると願いが叶うと言われる。

清洲越し

この北野神社も、清洲越しによって、大須観音とともに、現在地に移りました

北野神社1
お稲荷さんを祀る。

徳川宗春のカラクリ人形

大須観音のすぐお隣に、7代尾張藩主・徳川宗春のカラクリ人形があります。徳川宗春のおかげで、江戸時代の大須は活気のある町になったということです。近年になってようやく、徳川宗春の評価が高まりつつあります。

カラクリ人形
宗春

尾張藩主・徳川宗春とは?

八代将軍・徳川吉宗の「享保の改革」によって、京都、大阪、江戸の遊郭や芝居文化が失速してしまいましたが、第7代尾張藩主の徳川宗春(1696年-1764年)は、吉宗とは反対の規制緩和政策をとったため、名古屋の遊郭や芝居文化は逆に大いに発展しました。それが現在の大須商店街の原型になったとのこと。享元絵巻と呼ばれる資料には当時の賑わいが良く描かれています。
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posted by nagoyasanpo at 23:22 | Comment(0) | 大須
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