地名の由来
鳥栖の地名は、かつてあったとされる鳥栖城から来ています。鳥栖城の跡は、南区鳥栖町二丁目にある成道寺というお寺となっています。成道寺
成道寺は曹洞宗のお寺で、鳥栖城跡に建てられている、とのことです。鳥栖城主の成田一族は、赤塚の合戦で織田信長と戦った山口一族の家臣です。 成道寺には、城主の成田氏夫妻の墓碑の刻まれた石仏があります。>成道寺の歴史
成道寺石仏
成道寺の墓地にあった「夫婦地蔵(めおとじぞう)」と呼ばれる地蔵2体が、境内の祠に安置されています。永正年間(1515年)と刻まれており、市内では最も古い銘文です。名古屋市文化財に指定されています。
銘文の中の鳥栖は、このあたりの地名で、これが現在の鳥栖の名前になっているとのことです。
鳥栖八劔社古墳
この鳥栖八劔社古墳は、直径45メートル、高さ5メートルの帆立貝形前方後古墳で、名古屋市内で2番目に大きな円墳ということです。鎌倉街道に隣接しています。
八劔社
また鳥栖八劔社古墳の上には、熱田神宮別宮の八劔社が祀られています。看板の説明によると、八劔社は、和銅元年(西暦708年)熱田神宮の草薙剣が盗難に遭い、これが帝に知られることを恐れたため、レプリカを新しく作ることをにして、この土地で制作した、という伝承があります。>参考
鳥栖神明社古墳
鳥栖神明社古墳は、笠寺台地の中央のやや北寄りにある直径30メートル、高さ3.5メートルの円墳です。古くは大塚と呼ばれていました。 発掘調査は行われていないため、年代は不明です。鳥栖神明社
古墳の上に祀られた鳥栖神明社は1771年の創建となっています。