山崎川から笠寺までの東海道沿い
瑞穂区の山崎川から南区の笠寺付近にかけての旧東海道沿いには、興味深い史跡が並んでいます。史跡スポット
- 山崎城跡、安泰寺
- 熊野三社、松巨島の手洗い石
- 白毫寺、年魚市潟勝景跡、芭蕉の句碑
- 湯浴地蔵、鉄地蔵
- 鎌倉街道
山崎城跡
山崎城は、信長による「19ヶ条の折檻状」で知られる織田家の重臣・佐久間信盛の居城です。 桶狭間の合戦後、佐久間信盛が山崎城の城主となりました。「19ヶ条の折檻状」によって佐久間信盛が高野山へ追放された後、山崎城も廃城になったということです。
安泰寺
山崎城跡には、安泰寺が建てられています。 名鉄沿いの、見晴らしの良い場所にあります。>参考
熊野三社
もとは、織田家の重臣・佐久間信盛の山崎城にまつられていたのを、東海道沿いの現在地に移したとのことです。 三つの社があるため、熊野三社と呼ばれます。松巨島の手洗い石
熊野三社の境内には、松巨島の手洗い石があります。 1766年の年号が刻まれています。 松巨島とは、かつての笠寺台地は島であり、島の名前を「松巨島」と呼んでいたのが由来です。 大きな松が生えていたからその名前になったとのこと。常夜灯
熊野三社の境内の常夜灯は、文政年間(1830年)のものとのことです。白毫寺
白毫寺は、1571年に開基しました。場所はかつて、「年魚市潟(あゆちがた)」に浮かんだ松巨島という島になっていました。 白毫寺は、松巨島の北西部に位置しています。 寺の裏側が高台になっており、かつては見晴らしが良かったと推察されます。>参考
年魚市潟勝景跡の石碑と万葉歌碑
境内の奥に「年魚市潟勝景」の石碑が建てられています。 万葉集「年魚市潟潮干にけらし知多の浦に朝漕ぐ舟も沖に寄る見ゆ」が読まれた場所という言い伝えがあり、万葉歌碑もあります。芭蕉の句碑
また境内には芭蕉の句碑もあります。 しかし芭蕉の句集には見当たらない俳句とのこと。湯浴地蔵、鉄地蔵
鎌倉街道沿いの地蔵院には、鎌倉時代のころに鋳造されたと伝えられる、高さ2.3メートルの鉄地蔵があります。 「湯浴」は、湯を浴びせて祈願したことに由来するそうです。戦災と伊勢湾台風によって被害を受け、修復されています。
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鎌倉街道
鎌倉街道とは、鎌倉幕府のあった鎌倉へ続く道路網のことです。御家人が「いざ鎌倉」と駆けつけた道でもあります。 南区内では、湯浴地蔵、白毫寺の脇を通っています。新しい道標が建てられています。
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