呼続周辺の史跡
- 富部神社
- 長楽寺、松平忠吉病気平癒の松、織田・今川の国境線
- 呼続公園、旗掛けの松
- 桜神明社古墳
富部神社
1603年、徳川家康の四男・松平忠吉が祠を現在の地に移したのが創建とのことです。 疫病除けの神「蛇毒気神(だどくけのかみ)」が祀られており、尾張名所図会には「蛇毒神社」として描かれています。「蛇毒気神」は、祇園信仰で知られる牛頭天王や素戔嗚尊と同一視され、疫病退散の神として信仰されています。
>参考
本殿
松平忠吉が富部神社に祈願したところ回復したため、本殿などを寄贈した、ということです。 見どころは、重要文化財の本殿などです。長楽寺
富部神社のすぐ近くに長楽寺があります。 動物供養の寺として有名です。松平忠吉病気平癒の松
境内に、松平忠吉病気平癒の松があります。家康の四男・松平忠吉が、長楽寺の境内にあった素盞鳴尊を祀る祠に祈願し回復した事から、この祠をすぐ東に移して富部神社とした、という言い伝えがあります。織田・今川の国境線
戦国時代、南区の一帯は織田・今川の最前線となっていました。 境内には国境線であった谷が残っています。呼続公園
呼続公園は、かつては長楽寺の境内でした。桜などの名所であり、噴水のある曽池や野球場などが整備されています。笠寺台地には太古の昔から人が住んでおり、呼続公園一帯も、縄文時代からの遺跡となっており、曽池遺跡と呼ばれます。
旗掛けの松
曽池の畔に、源頼朝が旗を掛けて休んだといわれる「旗掛けの松」があります。 すぐ近くを鎌倉街道が通るため、根も葉もない言い伝えとは言えないかもしれません。桜神明社古墳
境内には古墳があり、本殿は古墳の上に建っています。 調査はされておらず、年代は不詳とのこと。 比較的形が残っています。名鉄が近くを走り、風情があります。>参考
風情のある古墳です。
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