さまざまな史跡
相生山緑地の中には、さまざまな時代の史跡が点在しています。 その一部をピックアップしてみました。- 葉書塔
- 徳林寺
- 千秋家の墓
- 相生山神社、相生山観音
- 爆弾穴
葉書塔
全愛知県下新十名所とは、昭和2年、中日新聞の前身の新愛知新聞社が一般から募集して選んだ名所です。投票総数1425万票のなかから、相生山が5位にランクインしました(『なごや新三百景(中日新聞社会部編)』より)。投票されたハガキが収められたのが葉書塔です。
葉書塔は、徳林寺からやや離れた、ひっそりした場所にあるので、見つけにくいかもしれません。
徳林寺
徳林寺の境内では、春になるとサクラ、秋には紅葉が見られます。境内の紅葉。
花祭り
徳林寺では、4月になると、釈迦の生誕を祝う『花祭り』を開催しており、露店が並んでいます。管理人も、徳林寺の花祭りを見学に行ったことがあります。4/1〜4/8の間の土日が賑わっているようです。
参考URL:徳林寺の花祭り
千秋家の墓
熱田神宮の大宮司は、平安末期まで、古墳時代の有力氏族・尾張氏が務めていました。 藤原季範(1090年-1155年)の時代以降は、藤原氏が大宮司を務めています。立て看板には、「藤原季範は、号を千秋と称した。以後、千秋家を名乗り、明治初期まで熱田大宮司としてその祝職を世襲した」とあります。
藤原季範の娘は、源義朝の室となり、源頼朝を生んだ、とありますので、藤原季範は、源頼朝の祖父ということになります。
藤原季範も、母方が尾張氏であり、非常に由緒ある家柄といえます。源頼朝は、この尾張氏の家柄のおかげで源氏の嫡男としての地位を得たともいえますので、頼朝は名古屋とはかなり縁の深い人物です。
墓標は、明治期以降のものだそうです。思ったよりも、ずいぶん小さな墓地でした。
参考URL:千秋家の墓
源頼朝は名古屋人?
ところで、源頼朝は、名古屋生まれという説が有力です。熱田神宮の近くの誓願寺がその場所とされますが、新瑞橋近くの井戸田と言うところにも、生誕地とされるお寺があります(こちらの記事を参照)。相生山神社、相生山観音
徳林寺と千秋家との中間あたりにあります。 昭和に入って、建てられた神社のようです。 別の場所から移転したのかもしれません。近くには、相生山観音の石仏もあります。 https://aioiyama.blog.fc2.com/blog-entry-216.html
爆弾穴
相生山緑地の山中には、戦時中に米軍のB-29が落とした爆弾の穴が複数残っています。 オアシスの森の深い部分にあるため、見つけにくいかもしれません。大きなクレーターになっています。
散策路の地図

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