投稿日:2020年09月14日

鳴海城跡と周辺の史跡

緑区の旧東海道(県道222号)沿いの鳴海宿の周辺には、鳴海城跡などの史跡が多くあります。 桶狭間の合戦の舞台にもなった場所です。
  • 鳴海城
  • 鳴海城公園
  • 天神社
  • 如意寺、誓願寺
  • 東福院
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鳴海城の歴史

室町時代

室町時代の1396年、足利義満の家臣の安原宗範によって、鳴海城(根古屋城)が築城されました。 その後、廃城となりました。

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戦国時代

戦国時代の天文年間になると、織田信秀の家臣・山口教継が城主を務めています。 しかし織田信秀が没すると、教継は今川氏に寝返り、鳴海城も今川氏の配下となりました。

織田信長の支配下

その後、桶狭間の戦いの後、織田信長の家臣・佐久間信盛の支配下となり、やがて廃城となったということです。

鳴海城の場所はどこか?

鳴海城は、遺構が残っておらず、場所がわかりにくくなっています。 そこで地図を元に調べてみることにしました。

海岸沿いにあった

戦国時代は、鳴海周辺は「年魚市潟(あゆちがた)」または「鳴海潟」と呼ばれる海になっていました。 鳴海城(根古屋城)は海岸沿いにあり、守りに適していたとのことです。

三つの砦で包囲

織田信長は、陸地の三方に丹下砦などを築き、鳴海城を包囲しました。

参考>丹下砦跡など鳴海周辺の旧東海道沿いの史跡

鳴海城の大きさ

鳴海城の大きさは「東西75間半、南北34間」とされています。 1間=1.8mとすると、「東西135m、南北61m」となります。

字の名から場所を探す

字の名から、鳴海城のエリアを探すことができます。

字「城」のエリアが鳴海城で、本丸が正方形の道路で囲まれたエリアと思われます。

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字「根古屋」のエリアは、堀の外に設けられた兵士たちの居住区域のようです。 「根古屋」の語源は、山城の麓の兵士たちの居住区域とのことです。

字「作町」のエリアは、鳴海城の城下町かもしれません。 桶狭間合戦の後は、信長の家臣・佐久間信盛・信栄父子が城主となり、「佐久間=作」として地名に残りました。

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天神社

天神社は、成海神社が創建された場所です。 成海神社の創建は、草薙神剣が熱田に戻った朱鳥元年(686年)とされます。

当時は、年魚市潟の海岸沿いにあたります。 成海神社の旧社地から、奈良、平安時代の瓦が出土したとのこと。

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鳴海城の築城とともに移転

その後、成海神社は、鳴海城の築城とともに、天神社の北東200メートルほどの場所にある字・乙子山の現在地点に移転したということです。

鳴海城公園

鳴海城公園は、成海神社旧社地で、鳴海城があった場所にあります。 遺構は残っていません。

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鳴海城公園からの眺め。
見晴らしがよく、守りに適した場所といえます。

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鳴海城公園の裏手は、いかにも山城といった雰囲気が残ります。

如意寺

鳴海城公園の麓には、蛤地蔵で知られる「如意寺(1281年に移転)」があります。

誓願寺

芭蕉供養塔のある「誓願寺(1573年創建)」などの寺院も、鳴海城公園の麓にあります。

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東福院

鳴海城公園の裏手の小道を下ると、東福院があります。 東福院の山門は、鳴海城の木材で建てられているとのことです。

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posted by nagoyasanpo at 02:39 | Comment(0) | 鳴海
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