投稿日:2020年09月18日

歴史

成海神社は、686年創建の歴史ある神社です。 686年(朱鳥元年)に、熱田神宮に草薙剣が戻ったことを契機として、 10の社が建てられ、そのうちの一社が成海神社ということです。

式内社

成海神社は、延喜式神名帳(927年)に記載された式内社で、旧県社です。 格式の高い神社となっています。

祭神

成海神社の祭神は、日本武尊(ヤマトタケル)、宮簀媛命(ミヤズヒメ)、建稲種命(タケイナダネ)と、尾張にゆかりのある人物となっています。
  • 成海神社
  • 熊野天白社
  • 天神社
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東宮

成海神社は、別名「鳴海天神」「東宮大明神」とも呼ばれていました。 東宮稲荷社もあります。

なぜ東宮か?

なぜ東宮かというと、熱田神宮の東に位置するから、と公式ホームページにあります。 実際は、熱田神宮の南東に位置しています。

皇太子を意味する言葉

そもそも東宮とは、皇太子を意味する言葉ですので、皇子であるヤマトタケルを指す言葉かもしれません。

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ヤマトタケルと成海神社

東征から戻ったヤマトタケルは、鳴海にとどまることになりました。 当時の鳴海は、旧東海道のあたりまで鳴海潟と呼ばれる干潟が広がり、満潮時には海となっていました。 鳴海潟の対岸には、ミヤズヒメの住む火高(現在の大高)があります。

ヤマトタケルの和歌

そこでヤマトタケルは、成海神社創建の地で、ミヤズヒメの住む対岸を思って、次の歌を詠んだといわれます。

「鳴海浦を 見やれば遠し 火高地に この夕潮に 渡らへむかも」

成海神社創建の地の天神社に、ヤマトタケルの歌碑があります。

御船流しの神事

成海神社では、ヤマトタケルがこの時に鳴海から船でミヤズヒメの待つ火高に向かったという故事にちなんで、「御船流し」の神事が行われます。

だるま塚

成海神社での境内には、古いだるまを供養する「だるま塚」があります。 成海神社では、祈祷を終えた方にだるまを授与しており、前回授与された古いだるまを「だるま塚」に納める、とのことです。

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芭蕉句碑

東宮稲荷社の脇には、「初秋や海も青田の一みどり」という松尾芭蕉の句碑があります。 この句は、「鳴海兆望」という題のある歌仙の第1句で、初秋の鳴海潟と青い田を詠んだ句です。 歌仙とは、三十六句からなる連歌です。
芭蕉自筆の懐紙が名古屋市博物館に保存されています。

芭蕉と鳴海

松尾芭蕉は名古屋と縁があり、鳴海には4度も訪れ、当地の俳人らと俳諧の会を開いています。

緑区の地名

名古屋市緑区の地名は、この俳句の「一みどり」に由来している、とのことです。

境内社の熊野天白社

成海神社の参道には、境内社がずらりと並んでいます。 その中に、熊野天白社があります。

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天白の由来?

天白区や天白川の名称は、天白橋のすぐ近くにある字・天白に、「天白社」が祀られていたことに由来するという説があります。
その昔、字・天白に祀られていた「天白社」が、成海神社の境内社の熊野天白社ではないか、と言われます。

参考>天白川、天白区の名の由来

天神社

緑区の天神社は、成海神社が朱鳥元年(686年)に創建された場所にあります。 鳴海城公園の近くにあります。

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鳴海城の築城とともに移転

成海神社は、鳴海城の築城とともに、天神社の北東200メートルの場所にある現在地点に移転して、もとの創建の場所に天神社を建立したとのことです。

参考>鳴海城(根古屋城)の場所と周辺の史跡

ヤマトタケルの歌碑

ヤマトタケルの「鳴海浦を見やれば遠し火高地にこの夕潮に渡らへむかも」を刻んだ歌碑があります。

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芭蕉句碑

「杜若われに発句のおもいあり」の句碑があります。 松尾芭蕉が「野ざらし紀行」を終えた1685年4月に、鳴海宿の俳人・下郷知足の家を訪れた時の俳句です。

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posted by nagoyasanpo at 00:52 | Comment(0) | 鳴海
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