投稿日:2020年09月18日

東海道の宿場町

鳴海宿は、東海道五十三次の四〇番目の宿場です。 知立市の池鯉鮒宿と、熱田神宮のある宮宿との途中に位置します。 鳴海宿周辺には、多くの史跡が残っています。
  • 鳴海宿高札場
  • 鳴海宿本陣跡
  • 鳴海球場
  • 如意寺
  • 誓願寺
  • 鳴海城


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鳴海宿高札場

鳴海宿高札場は、鳴海城公園の近くの歩道沿いにあります。 江戸時代、宿場の中央に大きな高札場が作られ、高札が掲示されていました。

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慶応4年(1868年)の高札場

復元された高札は、慶応4年(1868年)のものです。「名古屋県」とあるのが興味深いです。
内容はこちらで紹介されています。

当時の高札場の位置

当時の高札場は、復元された現在の鳴海宿高札場から、南に約70mの本町交差点の北東角にあったとのことです。

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鳴海宿本陣跡

本陣とは、江戸時代の宿場で、大名や旗本などが宿泊する場所です。 1843年の調査によれば、鳴海宿は、家数847軒・人口3643人・旅籠68軒を数えるとのことです。 旅籠68軒というのは、かなりの繁栄ぶりがうかがえます。

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鳴海球場

鳴海球場は、1927年(昭和2年)に完成して、1958年(昭和33年)閉鎖されました。 名古屋鉄道が運営していたため、球場跡地は名鉄自動車学校になっています。 自動車学校の敷地内には、金色のホームベースと記念碑があります。

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伊吹スタンドと命名

鳴海球場は、神宮や甲子園に負けない球場を、という理念で建設され、20,000人収容のスタンドが設置されました。甲子園のアルプススタンドに倣って「伊吹スタンド」と命名されたとのことです。

スタンドは現存

1951年には、プロ野球の試合開催を見込んで、収容人員は40,000人に増加しました。 一・三塁側のスタンドは、今も現存しています。 外からでも、球場の名残を見ることができます。

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ルー・ゲーリッグやベーブ・ルースも

1931年にはルー・ゲーリッグ、1934年にはベーブ・ルースを擁する米大リーグ選抜チームがここで日本のチームと試合をしています。

日本初のプロ野球の試合が開催

1936年には、「東京巨人軍(読売ジャイアンツ)vs名古屋金鯱軍」という、日本初のプロ野球の試合が開催されたとのことです。

如意寺

如意寺は、1059年に創建されました。創建当初は上の山方面にありましたが、旧東海道沿いにある現在地に、1281年に移転しました。
旧東海道沿いに、入り口の看板があります。

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せき地蔵と蛤地蔵

弘法堂の「せき地蔵」、地蔵堂の「蛤地蔵」のふたつの地蔵尊が有名です。 「蛤地蔵」は、正月に蛤(はまぐり)を放生(ほうじょう)する風習があったことから、蛤地蔵の名があります。

尾張六地蔵の第四番札所

如意寺は、尾張六地蔵の第四番札所となっています。 第三番札所は、天白区の島田地蔵寺です。

誓願寺と芭蕉供養塔

誓願寺は1573年に建立されました。 境内には、最古の芭蕉供養塔があります。 芭蕉が亡くなった翌月に建てられた供養塔とのことです。
高さ70センチほどの小さな石塔です。

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鳴海城

鳴海城(根古屋城)は、桶狭間の合戦の舞台にもなった場所です。 現在では城跡が残っています。
鳴海城については、こちらのページで詳しく紹介しています。

鳴海城(根古屋城)の場所と周辺の史跡

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posted by nagoyasanpo at 01:08 | Comment(0) | 鳴海
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