東海道の宿場町
鳴海宿は、東海道五十三次の四〇番目の宿場です。 知立市の池鯉鮒宿と、熱田神宮のある宮宿との途中に位置します。 鳴海宿周辺には、多くの史跡が残っています。- 鳴海宿高札場
- 鳴海宿本陣跡
- 鳴海球場
- 如意寺
- 誓願寺
- 鳴海城

鳴海宿高札場
鳴海宿高札場は、鳴海城公園の近くの歩道沿いにあります。 江戸時代、宿場の中央に大きな高札場が作られ、高札が掲示されていました。
慶応4年(1868年)の高札場
復元された高札は、慶応4年(1868年)のものです。「名古屋県」とあるのが興味深いです。内容はこちらで紹介されています。
当時の高札場の位置
当時の高札場は、復元された現在の鳴海宿高札場から、南に約70mの本町交差点の北東角にあったとのことです。
鳴海宿本陣跡
本陣とは、江戸時代の宿場で、大名や旗本などが宿泊する場所です。 1843年の調査によれば、鳴海宿は、家数847軒・人口3643人・旅籠68軒を数えるとのことです。 旅籠68軒というのは、かなりの繁栄ぶりがうかがえます。
鳴海球場
鳴海球場は、1927年(昭和2年)に完成して、1958年(昭和33年)閉鎖されました。 名古屋鉄道が運営していたため、球場跡地は名鉄自動車学校になっています。 自動車学校の敷地内には、金色のホームベースと記念碑があります。
伊吹スタンドと命名
鳴海球場は、神宮や甲子園に負けない球場を、という理念で建設され、20,000人収容のスタンドが設置されました。甲子園のアルプススタンドに倣って「伊吹スタンド」と命名されたとのことです。スタンドは現存
1951年には、プロ野球の試合開催を見込んで、収容人員は40,000人に増加しました。 一・三塁側のスタンドは、今も現存しています。 外からでも、球場の名残を見ることができます。
ルー・ゲーリッグやベーブ・ルースも
1931年にはルー・ゲーリッグ、1934年にはベーブ・ルースを擁する米大リーグ選抜チームがここで日本のチームと試合をしています。日本初のプロ野球の試合が開催
1936年には、「東京巨人軍(読売ジャイアンツ)vs名古屋金鯱軍」という、日本初のプロ野球の試合が開催されたとのことです。如意寺
如意寺は、1059年に創建されました。創建当初は上の山方面にありましたが、旧東海道沿いにある現在地に、1281年に移転しました。旧東海道沿いに、入り口の看板があります。

せき地蔵と蛤地蔵
弘法堂の「せき地蔵」、地蔵堂の「蛤地蔵」のふたつの地蔵尊が有名です。 「蛤地蔵」は、正月に蛤(はまぐり)を放生(ほうじょう)する風習があったことから、蛤地蔵の名があります。尾張六地蔵の第四番札所
如意寺は、尾張六地蔵の第四番札所となっています。 第三番札所は、天白区の島田地蔵寺です。誓願寺と芭蕉供養塔
誓願寺は1573年に建立されました。 境内には、最古の芭蕉供養塔があります。 芭蕉が亡くなった翌月に建てられた供養塔とのことです。高さ70センチほどの小さな石塔です。
鳴海城
鳴海城(根古屋城)は、桶狭間の合戦の舞台にもなった場所です。 現在では城跡が残っています。鳴海城については、こちらのページで詳しく紹介しています。
>鳴海城(根古屋城)の場所と周辺の史跡
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