投稿日:2020年09月24日

概要

氷上姉子神社は、氷上姉子神社は延喜式神名帳(927年)に記載された式内社です。
緑区大高町火上山という場所にあります。

宮簀媛(ミヤズヒメ)を祀る

氷上姉子神社の「姉子」は、宮簀媛(ミヤズヒメ)のことだとされます。 ミヤズヒメは、初代の尾張国造・乎止与(オトヨ)の娘です。
乎止与(オトヨ)の館跡に、ミヤズヒメを祭神として創建されたのが氷上姉子神社の始まりとされます。

本殿

氷上姉子神社の本殿は、明治26年(1893年)に熱田神宮別宮の八剣宮社殿を移築したものです。 貴重な尾張造の社殿です。

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熱田神宮との関わり

氷上姉子神社は、熱田神宮の境外摂社となっています。 熱田神宮の元宮ともいわれ、熱田神宮の創祀・創建と深く関わっています。
熱田神宮との関わりは長くなりますのでこちらのページで紹介しています。
参考>氷上姉子神社と熱田神宮の創建との関係

立地

昔は、周辺には年魚市潟(あゆちがた)が広がっており、氷上姉子神社は海辺にありました。 沓掛島、浜宮などの史跡にその名残があります。

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史跡は数が多く、場所が分かりにくいため、地図にまとめてみました。

広大な境内

氷上姉子神社は、北側にある玉根宮や、元宮がある火上山も境内地となっています。 地図を見ると、広大な面積だと分かります。

地名

氷上姉子神社は、火上山という名称の丘陵にあります。 どちらも「ひかみ」と読みます。

名称の変化

この場所は、かつては「日高見」と呼ばれており、「火高」「火上」と略していたとのこと。 しかし、中世以降になって、火の文字を避けて、現在の「大高」「氷上」という呼び名に変わった、とのことです。

摂社

氷上姉子神社の摂社は、現在では次の4社があります。

境内末社と祭神

元宮・・・宮簀媛命
神明社・・・天照大神
玉根宮・・・少彦名命

境外末社と祭神

朝苧社(あさおしゃ)・・・火上老婆霊

近世頃の境内

江戸時代中頃(1745年頃)の「氷上山之図(岩瀬文庫蔵書)」によると、昔は、濱社(浜宮)など10社以上の摂社がありました。

氷上山之図の画像はこちらにもあります。
星宮、香取、鹿島の名前も見えます。

五社巡り

氷上姉子神社、元宮、神明社、玉根宮、朝苧社の五社を巡るとご利益がある、とのことです。

玉根宮

境内摂社。祭神は、少彦名(スクナビコナ)。 少彦名は、大国主(オオクニヌシ)の国造りを手伝うために海からやって来て、後に常世国に去ります。

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常世島

地図には、玉根宮のある場所は「常世島」とあります。 玉根宮と関係があるのかもしれません。 「タマネ」はかつては「霊根」と書いたようです。

神明社

道を挟んで向かい側に、元宮へ続く参道があります。

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途中に、境内摂社の神明社があります。 祭神は、天照大神。

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元宮

神明社から、山の中の参道をさらに進むと「元宮」があります。 社と、「宮簀媛命宅跡」と記された石碑があります。

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690年まで氷上姉子神社があった場所

元宮は、ミヤズヒメの館跡で、690年まで氷上姉子神社があった場所とのことです。 名古屋の古代史において、とても重要な場所といえます。

朝苧社

朝苧社(あさおしゃ)は、氷上姉子神社の境外末社で、祭神は、火上老婆霊(ひかみうばのみたま)。 火上老婆霊は、ミヤズヒメの母である真敷刀俾命(ましきとべのみこと)という説や、ミヤズヒメの御霊という説などがあるようです。

場所

朝苧社は、地図を見ながらでも分かりにくい場所にあります。 氷上姉子神社からは、名四国道の地下通路を通って行くことができます。

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木々に覆われた山の中に、小さな社が祀られています。

氷上山之図

朝苧社は、江戸時代の頃は、もっと大きな神社だったことが、前述の「氷上山之図」で分かります。 朝苧社の北側には、氷上姉子神社の宮司家の久米氏の屋敷がありました。

姥神山

朝苧社のある丘陵は姥神山と呼ばれ、古代の土師器や須恵器などが出土したとのことです。 近くには大高城跡があります。

周辺の史跡

氷上姉子神社の周辺は、かつては年魚市潟(あゆちがた)と呼ばれる海になっていました。 海抜地図で確かめることができます。

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海抜7メートルの地図にすると、氷上姉子神社が海辺にあったことが分かります。

一の鳥居

一の鳥居は、神社の参道の一番外側の鳥居のことです。 数年前まで、地図の「一の鳥居」の場所に、実際に大きな鳥居がありました。

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浜鳥居

海辺にあったことから、浜鳥居と呼ばれたとのことです。 宮簀姫命邸跡の石柱もあります。

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浜宮跡

昔は、塩土老翁を祀る「濱社」という社があった場所です。 文字通り、海辺にありました。 参拝者は、対岸の熱田の岬から船で訪れ、浜宮に上陸したとのこと。

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道路脇に立て札が立っています。

寝覚の里

寝覚の里は、ヤマトタケルとミヤズヒメが新婚の一時を過ごした場所といわれます。 浜辺の潮の音で、そう呼ばれるようになった、とのことです。 伊勢湾台風までは塚があったと立て札に記されています。

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沓掛島

一の鳥居から参道を進んだ場所にあります。 船で訪れた参拝者が靴を脱いだ場所、という説もあります。 実際に島だったかもしれません。

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立て札が立っています。

大高斎田

斎田とは、神前に供える米を栽培する田のことです。

6月第4日曜日に御田植祭が行われます。 また9月28日には、稲を取り入れる抜穂祭が行われます。

大高斎田で収穫された米は、熱田神宮の神事に使われるとのことです。

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織田信長との関連

氷上姉子神社の境内に「信長攻路」の標識がありました。
織田信長が桶狭間に向けて通ったルートからは外れていますが、大高城跡や氷上砦などの付近の史跡を指しているのかもしれません。

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氷上砦

氷上砦(ひかみとりで)は、緑区大高町にあったとされる砦です。 織田信長によって築かれたとされますが、実在を裏づける史料や遺構は少ない、とのこと。

大高城跡

朝苧社から少し離れた場所に、桶狭間の合戦の舞台となった大高城跡があります。 桶狭間の合戦では、松平元康(徳川家康)が城の守備につきました。

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posted by nagoyasanpo at 03:27 | Comment(0) | 氷上姉子神社
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