熱田神宮と深く関わる
氷上姉子神社は、熱田神宮の境外摂社となっています。 熱田神宮の元宮ともいわれ、熱田神宮の創祀・創建と深く関わっています。諸説ある
しかし熱田神宮の創祀・創建に関しては、諸説あるようで、大雑把な理解にとどめておくことにします。

ヤマトタケルと草薙剣
神話によれば、ヤマトタケルは、東国平定の帰途、この地でミヤズヒメと結婚しました。 その後、ヤマトタケルは草薙剣を残して伊吹山へ向かい、ミヤズヒメは形見となった草薙剣を大切に祀っていた、とされます。これが熱田神宮の創祀とされます。
草薙剣が奉斎された地
ミヤズヒメの館は大高町火上山の丘陵にありました。 すなわち、この地は、熱田神宮の創建以前に、ミヤズヒメによって草薙剣が奉斎されていた地ということになります。熱田神宮の創祀
熱田神宮の公式HPに、「熱田神宮の創祀は、日本武尊の妃 宮簀媛命による草薙神剣の奉斎にはじまります」とあります。 その時期を景行天皇43年(113年)として、熱田神宮では2013年に「創祀千九百年大祭」を行っています。熱田社の創建
ミヤズヒメは、草薙剣を大切に祀っていたものの、年老いたため、祠(ほこら)に祀ることにしました。 占いにより、社地を定めて、熱田社と名付けました。これが熱田神宮の「創建」となります。草薙剣は熱田社へ移されることになりました。
創祀と創建
ミヤズヒメによって草薙剣が祀られた時を熱田神宮の創祀とすると、熱田神宮の創建とは年代が異なることになります。wikipediaの熱田神宮の項目によれば、熱田社の祠がいつ創建され、草薙神剣がいつそちらに遷座されたかは不明だそうです。
氷上姉子神社の創建
その後、ミヤズヒメを祀る社を大高町火上山に建てたのが氷上姉子神社の創建(195年)とされます。 さらに持統天皇4年(690年)に、現在の本殿がある社地に遷座した、とされます。氷上姉子神社と周辺の史跡
こちらのページで氷上姉子神社と周辺の史跡について書いています。