笠寺周辺の史跡
笠寺の一帯は、戦国時代以前は、年魚市潟(あゆちがた)という海に浮かぶ「松巨島」という島になっていました。旧東海道が通り、周辺には多くの史跡があります。

海抜7メートルの地図を見ると、年魚市潟(あゆちがた)や松巨島が浮かび上がります。
- 笠寺一里塚
- 粕畠貝塚(小松寺跡)
- 七所神社
- 秋葉神社
- 丹八山
- 市場城跡
笠寺一里塚
一里塚とは、慶長9年(1604年)に徳川幕府が東海道を整備した際、一里(約4km)ごとに築いた塚のことです。 塚には木を植えて遠くから見えるようにしました。

笠寺観音の近くにある
笠寺一里塚は、笠寺観音の近くにあります。名古屋市内に残存する唯一の一里塚で、巨大なエノキの樹齢は約400年とのことです。

大正時代までは、道の南側も対になる塚があり、ムクノキが植わっていたそうです。
粕畠貝塚
粕畠貝塚は、縄文時代(約6000〜7000年前)の遺跡で、この地方で一番古い貝塚とのことです。 こちらの解説によれば、「粕畑・粕畠」は「塩田」を意味しているそうです。
小松寺跡
この場所は、笠寺観音(笠覆寺)の発祥の地で、元観音とも呼ばれます。 小松寺の跡地でもあります。天平5年(733年)、僧・善光が、浜辺の流木で十一面観音像を彫って安置して、小松寺と名付けたのが始まりです。 「南ム十一面観世音大菩薩」と刻まれた石碑があります。

>笠寺観音(笠覆寺)の見所と境内巡り
七所神社
七所神社は、平将門の乱と関係があります。 平将門の乱を鎮めるために、朝廷は、熱田七社の神々に祈祷を行いました。

熱田七社
熱田神宮の本宮、八剣宮、高蔵宮(高座結御子神社)、日破宮(日割御子神社)、氷上宮(氷上姉子神社)、源太夫社(上知我麻神社)、 紀太夫社(下知我麻神社)が熱田七社と呼ばれます。こちらの解説記事によれば、平将門の乱が起きた際、熱田七社の神々を神輿に乗せて、鳥居山(丹八山)で祈祷を行いました。 平将門の乱が鎮圧された翌年の941年に、鳥居山に熱田七社の神を祀ったのが七所神社の創祀とのことです。。
それから100年後、現在の場所に移されたということです。
参考>名古屋市南区にある、七所神社の現在の社殿の創建年はいつか。
丹八山(鳥居山)
丹八山は、かつては鳥居山と呼ばれ、平将門の乱の際には、熱田七社の神々に祈祷を行った場所です。 平安時代は、年魚市潟(あゆちがた)に浮かぶ「松巨島」の南端に位置していました。現在では、丹八山公園が整備されており、石碑が並んでいます。

秋葉神社
七所神社の境内に秋葉神社があります。 笠寺町には、かつて七つの秋葉神社があったそうです。 そのうちの一社で、明治以前は市場城跡の「市場」にあったとのことです。
市場城跡
市場城は、戦国時代に、山口重盛(寺部城主)の兄・山口左近大夫安盛が築城した城とのことです。 山口氏は、織田家に仕えた氏族です。

城跡の痕跡は残っていませんが、地形を見ると、城跡とされる場所は、たしかに小高い丘になっています。
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