投稿日:2020年09月28日

笠寺周辺の史跡

笠寺の一帯は、戦国時代以前は、年魚市潟(あゆちがた)という海に浮かぶ「松巨島」という島になっていました。
旧東海道が通り、周辺には多くの史跡があります。

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海抜7メートルの地図を見ると、年魚市潟(あゆちがた)や松巨島が浮かび上がります。
  • 笠寺一里塚
  • 粕畠貝塚(小松寺跡)
  • 七所神社
  • 秋葉神社
  • 丹八山
  • 市場城跡

笠寺一里塚

一里塚とは、慶長9年(1604年)に徳川幕府が東海道を整備した際、一里(約4km)ごとに築いた塚のことです。 塚には木を植えて遠くから見えるようにしました。

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笠寺観音の近くにある

笠寺一里塚は、笠寺観音の近くにあります。
名古屋市内に残存する唯一の一里塚で、巨大なエノキの樹齢は約400年とのことです。

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大正時代までは、道の南側も対になる塚があり、ムクノキが植わっていたそうです。

粕畠貝塚

粕畠貝塚は、縄文時代(約6000〜7000年前)の遺跡で、この地方で一番古い貝塚とのことです。 こちらの解説によれば、「粕畑・粕畠」は「塩田」を意味しているそうです。

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小松寺跡

この場所は、笠寺観音(笠覆寺)の発祥の地で、元観音とも呼ばれます。 小松寺の跡地でもあります。

天平5年(733年)、僧・善光が、浜辺の流木で十一面観音像を彫って安置して、小松寺と名付けたのが始まりです。 「南ム十一面観世音大菩薩」と刻まれた石碑があります。

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笠寺観音(笠覆寺)の見所と境内巡り

七所神社

七所神社は、平将門の乱と関係があります。 平将門の乱を鎮めるために、朝廷は、熱田七社の神々に祈祷を行いました。

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熱田七社

熱田神宮の本宮、八剣宮、高蔵宮(高座結御子神社)、日破宮(日割御子神社)、氷上宮(氷上姉子神社)、源太夫社(上知我麻神社)、 紀太夫社(下知我麻神社)が熱田七社と呼ばれます。

こちらの解説記事によれば、平将門の乱が起きた際、熱田七社の神々を神輿に乗せて、鳥居山(丹八山)で祈祷を行いました。 平将門の乱が鎮圧された翌年の941年に、鳥居山に熱田七社の神を祀ったのが七所神社の創祀とのことです。。
それから100年後、現在の場所に移されたということです。

参考>名古屋市南区にある、七所神社の現在の社殿の創建年はいつか。

丹八山(鳥居山)

丹八山は、かつては鳥居山と呼ばれ、平将門の乱の際には、熱田七社の神々に祈祷を行った場所です。 平安時代は、年魚市潟(あゆちがた)に浮かぶ「松巨島」の南端に位置していました。
現在では、丹八山公園が整備されており、石碑が並んでいます。

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秋葉神社

七所神社の境内に秋葉神社があります。 笠寺町には、かつて七つの秋葉神社があったそうです。 そのうちの一社で、明治以前は市場城跡の「市場」にあったとのことです。

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市場城跡

市場城は、戦国時代に、山口重盛(寺部城主)の兄・山口左近大夫安盛が築城した城とのことです。 山口氏は、織田家に仕えた氏族です。

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城跡の痕跡は残っていませんが、地形を見ると、城跡とされる場所は、たしかに小高い丘になっています。

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posted by nagoyasanpo at 04:14 | Comment(0) | 笠寺
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