投稿日:2020年09月28日

旧東海道は、南区呼続から、瑞穂区内を通って、熱田区の宮宿へと続きます。
東海道沿いには、史跡が多く残っています。

東海道沿いの史跡

  • 山崎橋
  • 井戸田薬師の石柱
  • 秋葉神社
  • 師長橋
  • 東ノ宮神社
  • 浜神明社


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山崎橋

「山崎橋」は、旧東海道が通る橋です。
尾張名所名所図会にも描かれています。

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石柱

山崎橋の南区側に、石柱があり、欠けた跡があります。 こちらの記事によると、これは戦時中に爆弾が直撃したためだそうです。

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井戸田薬師の石柱

山崎橋の瑞穂区側にも2本の石柱があります。 石柱には、「是より井戸田薬師四町半」と刻まれています。

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井戸田薬師

井戸田薬師とは、近くにある龍泉寺のことです。 源頼朝の生誕地という伝承があります。

源頼朝の生誕地を龍泉寺に訪ねる

秋葉神社

山崎橋のたもとの両岸に、秋葉神社が祀られています。川の両岸に秋葉神社が位置するのは珍しいかもしれません。

河岸町側の秋葉神社

瑞穂区・河岸町側の秋葉神社は、堤防沿いにあります。 金毘羅宮も祀っています。

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参考記事1

南区側の秋葉神社

南区側の秋葉神社は、河岸町側の対岸の堤防にあります。 詳細については不明です。

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参考記事2

師長橋

年魚市潟(あゆちがた)があった戦国時代以前は、呼続の付近は「松巨島」の北端にあたります。 鎌倉街道は、呼続から、山崎川の師長橋を渡って、井戸田方面へと続いていました。

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師長は藤原師長のことで、謫居跡が近くにあります。
藤原師長の伝説が残る井戸田の土地

東ノ宮神社

明治元年(1868年)、明治天皇は遷都のため、岩倉具視らとともに京都から東京へ移動する途中、 当時の藩主徳川慶勝に、稲の出来具合いを尋ねて、収穫作業を見守ったといいます。
これを記念して、東ノ宮神社が創建されたとのことです。

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浜神明社

浜神明社は、国道一号線沿いの、ダイソーの裏手にあります。
かつてはこの辺りは「呼続の浜」とよばれ、渡船場がありました。 この社のある浜から、伊勢湾の向こうの伊勢神宮を拝むことができたそうです。

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1908年、津賀田神社に合祀されたものの、昭和15年 (1940年)に、浜神明社が再建されたとのことです。
かつては、道の向こう側まで境内だったようです。

斗帳寄進碑

碑面に慶長20年(1620年)、天照皇太神宮御神前奉掛斗帳悉池成就祈所、と彫られています。
斗帳とは、社殿の垂れ幕のことです。

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対の一基は津賀田神社にあります。

月待供養碑

天正17年(1589年)とあり、市内最古の供養碑です。 名古屋市指定文化財に指定されています。

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こちらの解説によると「敬白十七夜待開眼供養の所、尾州愛知郡分野住人四郎五郎、現世安穏後生善所」とあります。
月待供養は、室町時代から続く、月の出を待つ行事です。

西行腰掛石

西行の和歌を愛した者が作ったという西行腰掛石があります。 西行法師が腰掛けた際の手形が彫ってあります。

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posted by nagoyasanpo at 23:24 | Comment(0) | 東海道
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