宮宿
熱田区の宮宿は、東海道五十三次の41番目の宿場です。 宮宿は、宮の渡し(七里の渡し)と呼ばれる渡船場があり、賑わっていました。東海道最大の宿場町
宮宿の旅籠屋は、1843年には本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠屋248軒を数え、東海道で最大の宿場町です。宮宿周辺の史跡
- 丹羽家住宅
- 熱田魚市場跡
- 秋葉神社
- 宮の渡し(七里の渡し)跡
- 浜御殿跡
宮の渡し(七里の渡し)跡
東海道唯一の海路
七里の渡しは、熱田区の宮宿と三重県の桑名宿を結ぶ東海道唯一の海路です。 文字通り距離は七里(約28キロ)です。この海路は、鎌倉時代以前から利用されていたとのこと。
常夜灯が目印になります。
常夜灯
現在、宮の渡し(七里の渡し)跡に建てられている常夜灯は、1654年に建てられた熱田湊常夜灯を、昭和30年に復元したものです。時の鐘
時の鐘は1676年に尾張藩主・徳川光友によって作られた時計です。 当時の鐘は、蔵福寺に保管されています。 昭和58年に、宮の渡し公園に復元されました。陸路の場合
三重県の桑名宿までは、船旅を好まない旅人は、宮宿から佐屋街道を通って佐屋宿に行く陸路を使いました。 宮宿からは、木曽川を船で下って桑名宿へ至ります。丹羽家住宅
丹羽家住宅は、19世紀前半の建築です。 宮宿の脇本陣の旅籠で、「伊勢久」という店名でした。 本陣とは大名、旗本などの専用宿泊所のことで、脇本陣は本陣の予備的存在です。「尾張名所図会」にも描かれています。
熱田魚市場跡
熱田魚市場は、昭和24年、熱田区日比野に「名古屋市中央卸市場」ができたことで、廃止されました。市場跡は大瀬子公園となっており、モニュメントが残っています。
熱田魚市場では、毎日朝夕2度、市場が開かれていました。
秋葉神社
大瀬子公園の表側に、秋葉神社と軻具突智社が5社も並んでいます。 これだけ狭い区域に神社が並ぶのは、珍しい光景だと思います。 熱田魚市場があった時代は、この区画は船着き場になっていて、人口密度が高かったため、とのことです。こちらの記事も参考になります。
浜御殿
尾張藩は1624年に、七里の渡しの東側の海を埋め立てて、出島タイプの浜御殿を築きました。 1654年には、もう一つの浜御殿を築きました。 2つの浜御殿は、それぞれ「東浜御殿」、「西浜御殿」と呼ばれます。西浜御殿
西浜御殿では、大名などを供応しました。 内装は豪華を極めていたそうです。 西浜御殿があった場所は、白鳥コミュニティセンターの北側です。 現在では看板があるのみで、跡は残っていません。内田町神社
看板の向かいに、内田町神社という小さな社があります。東浜御殿
東浜御殿は、現在の「宮の渡し公園」の辺りに、将軍家光の宿泊施設として建設されました。 その後は、尾張徳川家の別荘として使われていたそうです。 現在は、東浜御殿の跡は残っていません。関連記事