投稿日:2020年10月06日

宮宿

熱田区の宮宿は、東海道五十三次の41番目の宿場です。 宮宿は、宮の渡し(七里の渡し)と呼ばれる渡船場があり、賑わっていました。

東海道最大の宿場町

宮宿の旅籠屋は、1843年には本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠屋248軒を数え、東海道で最大の宿場町です。

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宮宿周辺の史跡

  • 丹羽家住宅
  • 熱田魚市場跡
  • 秋葉神社
  • 宮の渡し(七里の渡し)跡
  • 浜御殿跡

宮の渡し(七里の渡し)跡

東海道唯一の海路

七里の渡しは、熱田区の宮宿と三重県の桑名宿を結ぶ東海道唯一の海路です。 文字通り距離は七里(約28キロ)です。
この海路は、鎌倉時代以前から利用されていたとのこと。

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常夜灯が目印になります。

常夜灯

現在、宮の渡し(七里の渡し)跡に建てられている常夜灯は、1654年に建てられた熱田湊常夜灯を、昭和30年に復元したものです。

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時の鐘

時の鐘は1676年に尾張藩主・徳川光友によって作られた時計です。 当時の鐘は、蔵福寺に保管されています。 昭和58年に、宮の渡し公園に復元されました。

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陸路の場合

三重県の桑名宿までは、船旅を好まない旅人は、宮宿から佐屋街道を通って佐屋宿に行く陸路を使いました。 宮宿からは、木曽川を船で下って桑名宿へ至ります。

丹羽家住宅

丹羽家住宅は、19世紀前半の建築です。 宮宿の脇本陣の旅籠で、「伊勢久」という店名でした。 本陣とは大名、旗本などの専用宿泊所のことで、脇本陣は本陣の予備的存在です。

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「尾張名所図会」にも描かれています。

熱田魚市場跡

熱田魚市場は、昭和24年、熱田区日比野に「名古屋市中央卸市場」ができたことで、廃止されました。

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市場跡は大瀬子公園となっており、モニュメントが残っています。

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熱田魚市場では、毎日朝夕2度、市場が開かれていました。

秋葉神社

大瀬子公園の表側に、秋葉神社と軻具突智社が5社も並んでいます。 これだけ狭い区域に神社が並ぶのは、珍しい光景だと思います。 熱田魚市場があった時代は、この区画は船着き場になっていて、人口密度が高かったため、とのことです。

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こちらの記事も参考になります。

浜御殿

尾張藩は1624年に、七里の渡しの東側の海を埋め立てて、出島タイプの浜御殿を築きました。 1654年には、もう一つの浜御殿を築きました。 2つの浜御殿は、それぞれ「東浜御殿」、「西浜御殿」と呼ばれます。

西浜御殿

西浜御殿では、大名などを供応しました。 内装は豪華を極めていたそうです。 西浜御殿があった場所は、白鳥コミュニティセンターの北側です。 現在では看板があるのみで、跡は残っていません。

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内田町神社

看板の向かいに、内田町神社という小さな社があります。

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東浜御殿

東浜御殿は、現在の「宮の渡し公園」の辺りに、将軍家光の宿泊施設として建設されました。 その後は、尾張徳川家の別荘として使われていたそうです。 現在は、東浜御殿の跡は残っていません。

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posted by nagoyasanpo at 01:55 | Comment(0) | 東海道
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