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2020年10月08日

宮宿周辺の史跡と蓬莱の由来

熱田区の旧宮宿は、東海道で最大の宿場町でした。 周辺にはお寺や神社、史跡が多くあります。

宮の渡し(七里の渡し)周辺の史跡については、こちらの記事で紹介しています。
  • 社宮司社
  • 景清社
  • 赤本陣跡
  • 聖徳寺
  • 円福寺

社宮司社(しゃぐうじしゃ)

熱田区須賀町に社宮司社(しゃぐうじしゃ)が鎮座しています。 社宮司とはミシャクジ信仰のことだと言われます。

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ミシャクジ信仰

ミシャクジ信仰の正体は定かではなく、大和民族に対する先住民の信仰だったとも言われます。

「ミシャグジ」の当て字には、社宮司、石神、三狐、三宮、斉宮社など実に様々です。

石やしゃもじを奉納

ミシャクジ信仰では、石やしゃもじを奉納するのが特徴です。 須賀町の社宮司社では、猿田彦命、岐之神、八衢彦神、八衢媛神を祀っており、無底の柄杓子を供えるとのことです。

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立て看板によると、社宮司社は、昭和27年までは、景清社の近くに鎮座していたそうです。

景清社

景清社は、平景清(藤原景清)を祀る神社です。 ひつまぶしで有名な「蓬莱軒」のすぐ近くにあります。

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景清とは

平景清(藤原景清)は、平家に仕えたため、俗に平景清と呼ばれています。 実際は藤原氏です。源平合戦で活躍して、「平家物語」でも有名な存在です。

景清伝説

日本各地に景清伝説が残っています。熱田にも、平家没落後に景清が隠れ住んだ、という伝説があります。

1182年の創建

この伝説が景清社の由緒となっています。 景清社は1182年の創建で、景清の居住跡地に祀ったとのことです。 もっとも、源平合戦は1185年ですので、1182年の創建というのはいささか不都合かもしれません。

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芭蕉も訪問

松尾芭蕉は名古屋訪問の際、熱田区の景清社と誓願寺を訪れたとのことです。 ということは景清社の創建はかなり古いといえます。

名刀・あざ丸

熱田神宮が所蔵する名刀・あざ丸は、もともと景清の佩刀であり、景清が熱田神宮に奉納したと伝えられています。

赤本陣跡

本陣とは、 参勤交代の大名や、旗本、勅使などが宿泊する場所のことです。一般人は宿泊できませんでした。

赤本陣と白本陣

宮宿には、本陣が二軒あり、赤本陣と白本陣と呼んで区別していました。

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赤本陣跡は、ひつまぶしの「蓬莱軒」の駐車場となっています。 立て札があるのみです。

白本陣

白本陣も、赤本陣と同じく、遺構は残っておらず、現在では場所が不明とのことです。

円福寺

円福寺は、名古屋ではめずらしい時宗の寺院です。 熱田神宮南の交差点沿いにあります。

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足利尊氏

円福寺は、足利尊氏が大規模な寄進を行い、境内や堂宇が整ったとのことです。

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尾張名所図会に境内の様子が描かれています。

聖徳寺

聖徳寺は、名の通り、聖徳太子像が祀られています。 聖徳太子立像(孝養像)は、県指定文化財で、1333年のものです。

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孝養太子

聖徳太子は、父用明天皇の病気平癒を祈願したことで、孝養太子の名があります。

由来

聖徳太子の像は、その昔、漁師の網に引っかかって見つかったとのことです。 その太子像を祀ったことが聖徳寺建立といわれます。

蓬莱の由来

熱田神宮には蓬莱伝説があり、蓬莱宮とも呼ばれていました。 また、名古屋を蓬左(ほうさ)と称したのは、「蓬莱宮」の左に位置するためです。

東方の、仙人が住む島

「蓬莱」とは古代中国の伝説で、東方にあり、仙人が住むという島(東方の三神山)のことです。 秦の始皇帝が、蓬莱を探すために、徐福を派遣したと言われます。

徐福伝説

徐福が到着したと言われる場所が日本に多くあり、熱田もその一つです。 熱田の地は、かつて海に突き出した岬になっていて、島のように見えたのではないか、とのことです。

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海抜7メートルの地図を見ると、当時の地形が浮かび上がります。

断夫山古墳

他にも、熱田区の断夫山古墳が、中国神話で語られる「蓬莱山」を模しているからではないか、とも考えられます。

蓬莱軒の店名

ひつまぶしで有名な蓬莱軒の店名は、この伝承に由来するとのことです。

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posted by nagoyasanpo at 02:51 | 東海道

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