鎌倉街道が通る
天白区の野並と緑区の古鳴海の付近は、かつて鎌倉街道が通っていました。 鎌倉街道は、東海道より以前にあった、京都と鎌倉を結ぶ街道です。このため、いくつかの史跡が残っています。
野並・古鳴海周辺の史跡
- 鎌倉街道の「上の道」
- 古鳴海八幡社、桂林寺(緑区)
- 野並八劔社、梅野古墳群、山伏塚古墳(天白区)
鎌倉街道が通る
天白区の野並と緑区の古鳴海の付近は、かつて鎌倉街道が通っていました。 鎌倉街道は、東海道より以前にあった、京都と鎌倉を結ぶ街道です。野並・古鳴海周辺の史跡
山崎川から笠寺までの東海道沿い
瑞穂区の山崎川から南区の笠寺付近にかけての旧東海道沿いには、興味深い史跡が並んでいます。史跡スポット
鎌倉街道についての検証本
いわゆる鎌倉街道と呼ばれる中世の東海道について、やや専門的ながらも、斬新で、読みやすく書かれた本です。「飛鳥井雅有日記」など中世の紀行文の科学的見地にもとづいた読解は、とても刺激的です。例えば、紀行文の書かれた日の潮の満ち干を科学的に明らかにして、鳴海潟(鎌倉街道のルート)を渡る旅人の行動をクリアに浮かび上がらせています。続きを読む頼朝や信長が行き来した道
中世の東海道ともいえる「鎌倉街道(京・鎌倉往還道)」は、名古屋市内にもわずかに痕跡があります。古くは源氏の武将が、戦国時代には信長らが行き来した街道です。名古屋周辺は萱津、熱田、鳴海、沓掛
125里63宿の行程のうち、名古屋市周辺には、萱津(あま市)、熱田(熱田区)、鳴海(緑区)、沓掛(豊明市)の4宿があります。「なごやの鎌倉街道をさがす 池田誠一 (著)」では、市内を通る鎌倉街道のルートを推定して、その場所を訪ねています。 続きを読む単に「海道」と呼ばれていた
中世の東海道をゆく―京から鎌倉へ、旅路の風景という著作によれば、そのルートは、東海道と呼ばれることもあったが、基本的には単に「海道」と呼ばれていたとのことです(この「中世の東海道をゆく」という著作は、かなりオススメです)。 続きを読む